2009年5月12日

読書「紀州 木の国・根の国物語/中上健次著」

読み終わるのにえらく時間がかかってしまった。一章読むごとに、考え込んでしまうので、なかなか先に進めないのだ。あんまり普段そんな難しい本は読まないのだけに、久々の知的興奮ていう感じ。
紀伊半島を巡る旅のルポルタージュなのだけれど、その旅のスタート地点となるのは、中上健次の生まれ育った新宮市。となると当然のことながら、極めて私的な視点から見た紀州、小説家の見た紀州を描くノンフィクションであり、ちょっと不思議な作品となっている。
…残念ながら、僕はこれ以上この作品を評する言葉を持っていない。産まれてから続くこの怠惰な生活には、インプットもアウトプットも圧倒的に欠如していたのだから、仕方ない。自分を恨め、と。
となると実体験しかない。伊勢熊野には、2年ほど前にたっぷり時間をかけて行ってきた。当然、この本の舞台になっているところも巡っているので、より興奮させられるのだ。特に新宮は本当に不思議な町で、中上の言う通り大した観光名所などもないのだけれど(徐福公園浮島の森は、良い悪いは別にして行くべきだと思います)、鮮烈な印象を残しますし、神倉神社はホントにしゃれにならない凄さです。くどいけど。で、その神倉神社の社殿(怖ろしいほど急な石段を538段登りきったとこに社殿があります)で、地元の爺さんと話をした時のこと。
一見して観光客のわれわれに気さくに話しかけてくれた爺さん二人。聞いてもいないのに、一望できる新宮の町をいろいろと紹介してくれた。浮島の森は昔は本当に浮いて移動していたんだとか、昔の熊野川はプロペラ船がいっぱいいて凄くうるさかったとか。紀伊新宮藩主の水野家の墓所はあそこだ、と指差されたときに、連れ合いが何気なく一言「中上健次のお墓も同じところですか?」。爺さんA曰く「中上?誰だっけ?」。勝手なイメージで新宮の中上ってのは、松山における正岡子規みたいなもんで、地元民で知らない人はいない、なんて思っていた我々の不見識。爺さんB「中上っていったら、ほらアノ…」。その場に居合わせた4人全員が、やはりある構造を形成する一員なのだと、今さらながら気づいた。



0 件のコメント:

Powered By Blogger