2009年6月7日

読書「花嫁化鳥 / 寺山修司」

青森旅行から帰ってきて、未読本の山から寺山修司を1冊選んだ。寺山修司記念館で見聞きした、そのままの流れで、読んでみたかったのだ。その昔、演劇にかぶれていたころは、寺山修司と唐十郎がすべてで、そこら辺に溢れている演劇的なものは、必ずどちらかの影響を感じた。最近の事情はよくわからないけれど、どうやら残念なことに、寺山?誰それ?みたいなことになっているようだ。記念館、ガラガラだもん。お手軽に、再評価とかいってブームになるのも嫌ですが。
寺山修司の天井桟敷と唐十郎の状況劇場は対極にあって、当時の演劇界を遠く離れたところで引っ張っていたようなイメージがあったのだけれど、この本を読んでみると、実は結構お互い濃密な影響を与え合っていたのだな、と思う。「佐川君からの手紙」と「花嫁化鳥」、続けて読んでも悪くない。「花嫁化鳥」は、けして寺山修司の代表作ではないけれど。
青森旅行を経て寺山修司の文章を読むと、その湿っぽさをあらためて感じる。本当だか嘘だかよくわからないこのルポルタージュは、そのニュースとしての役割は果たしていないが、現場の湿度が本当によく伝わる。この際、事実かフィクションかは問題ではなくて、日本にはその湿度の源泉が確かに存在する、ということが重要なのだ。
寺山修司は、久しくその短歌の盗作が問題とされており、それが後年の評価に暗い影を落としているのかもしれない。個人的には、盗作なのなら盗作で、それでも良いものは良い、と考える。だから霧深い陸奥湾に、そんな真相などは隠してしまえばいいではないか。

マッチ擦るつかのまの海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや

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