2009年4月30日

読書「フーゾク進化論」

また新書ですが、これはそこそこ興味があって買った本。というのも、古典落語を集中的に聞いていると、どうしても気になるのが江戸風俗。特に廓噺に代表される吉原などの遊郭の描写を少しでも理解するには、当時の吉原に行ったことも無ければ今後行くこともできない私にとって、こういう本を読んで想像力を豊かにするよりほかないのです。ちなみに言うと、以下すべて実体験を伴わない伝聞推量的な考えです。なんか良い訳めいてますが。
この本の読みどころは、江戸時代の風俗解説ではなく、戦後から現代にいたるフーゾク産業とその取締機関との攻防の歴史。人間…いや日本人…いや日本人男性の飽くなき探究心と発明品の数々、そしてそれを支える想像力の逞しさたるやっ!その時代の価値観、倫理観、生活スタイル、そういったものに最も敏感に反応し、その形態を変え続けるフーゾクの変遷は、あるフィルターを通した日本という国の変遷でもあるのだろう。
ただ、あまりにも目まぐるしく変化し続けるフーゾクだけに、第二次世界大戦、GHQによる占領、風営法制定とその何度にもわたる改正を経て、吉原に代表される江戸時代からの風俗文化は消滅した、と思いきや、どうもそうではないように感じられるのです。もちろん遊郭はなくなったけれども、その精神はやっぱり現代に受け継がれているのではないか、と。で、どこに受け継がれてるかって、そりゃキャバクラですよ、キャバクラ。そういった行為があるかどうかはこの際問題ではなくて、その精神性がキャバクラにあるのではないか、と。男同士で酒なんぞを飲んでるうちに、一丁くりこむか、てな感じで始まるのは吉原もキャバクラも同じでしょ。店に行ったはいいけれど、なじみの女の子は他にも指名が重なってなかなか隣に来てくれないのは、落語の“五人廻し”もキャバクラも一緒。しばらくお店に行かなけりゃ、文が届くか携帯メールが届くし、時間になって延長どうしますか?と若い衆が聞いてくるのは落語の“お直し”もキャバクラも同じ。同じ店でなじみになれるのはひとりだけだし、勘定を見てびっくりするし。
こう考えると、長年かけて培った日本人好みの価値観っていうのは、時代を経ても変わりようがないのだな、と感じる次第です。ただボクのような、江戸に生きてみたかった現代人としては、こういったことを夢想して少し安心するのです。僕らの身体にも、江戸時代を生きた熊さんや八っつぁんの血が流れてるんだと。


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