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2009年10月31日

読書について

10/25の読売新聞に載っていた、読書週間世論調査より。

この一ヶ月本を読まなかった・・・男性50%/女性54%
この一ヶ月呼んだ本の冊数・・・1冊17%/2冊14%/3冊8%/4冊3%/5冊~9冊4%/10冊以上2%/0冊53%

この結果を読んでびっくりした。みんな通勤中に何してるの?
自分の通勤中は、ipodで音楽を聴きながら新書を読む、ってことになっている。時間は片道45分程度で、往復1時間半ぐらい。それでも週に3冊ぐらいは本を読む。ベッドサイドとリビングあたりと、通勤用のかばんにそれぞれ別の本が入っていて、それぞれを同時並行的に読み進めるので、正確な冊数は何ともカウントし難いが、月に10冊~15冊ぐらいは読んでることになるのかも。
と、ここまで書いて思い返してみれば、自動車通勤をしていた1年間は、こんなに本を読んでいなかったような気がする。電車内の時間ていうのは、都会人ならではの苦痛な時間ではあるけれど、貴重な読書の時間でもなるのだと実感。

でも、自分が読書家であるとか言うつもりは毛頭無く。それよりも、お金をかけて本を買って、時間をかけて読んでるワリには、その後時間が経過するとほとんど何にも覚えて無いことを残念に思う。これからはマメに、本を読むたびに何かしら…せめてあらすじぐらいでもメモっていきたい。

2009年6月17日

読書「科学捜査の現場」

特にネタが無いので、読書ネタが続きます。
サブタイトルが「体毛は人と事件を語る」。ということで、ほぼ全編体毛、それも陰毛の話。体毛ってのは、何かすれば必ずと言ってよいほど現場に残るものなのだ。だから悪いことして科学捜査班が出てきて調べたら、隠しとおせることなど何もない。絶対にばれる。だから悪いことはやめなさい。

読書「日本人の起源を探る」

サブタイトルは「あなたは縄文系?それとも弥生系?」。電車の中で、いろんな人を見て縄文系か弥生系か考えてみると、どっちかわかんない人がほとんどですよなぁ。でも私は、はっきり縄文系です。
日本は酸性土壌なので古代人の骨が残りにくいのだそうだ。ただ縄文人の骨だけは、貝塚に埋められていることが多いので、貝のカルシウムが保存を助け、他の時代よりも非常に多くが発掘されているらしい。なんでカルシウムがあると保存されるのか、よくわかりませんが。なので「日本人の起源を探る」場合、縄文人の骨から得られる情報が多くあっても、他の時代の骨サンプルが少なすぎて比較が難しい。必然的に、骨以外から得られる情報でも起源を探ることになるのですが、それがDNAだったりウイルスだったり古事記だったり歯だったり耳垢だったりで、多岐にわたります。そして結論が微妙に違ったり、結論が出るのはまだまだずいぶん先の話だったり、そもそも結論なんかなかったり。確実そうなのは、縄文人と弥生人の差異はものすごく大きい、ということ。そして弥生人の発生は、大陸か半島か、あるはその両方からかなり多い数の渡来人がやってきたことによる、ということ。
別に日本人の起源を知りたいわけではないけど、こういった本を読むと、日本各地への旅行が楽しくなります。

2009年6月11日

読書「血税空港 本日も遠く高く不便な空の便 」

地方に旅行に行く際、だいたい通過するのが羽田空港と地方空港。進化を続ける羽田は良いとして、地方空港は正直どこに行っても同じ。飛行機を降りてから、手荷物受け取りまでのアプローチとか、微妙な地方限定の広告とか、大枠はほぼ同じです。ログハウス風とか書院造とか神明造とかあっても良さそうなものだけど、イメージとしては四角い白い建物で統一されていて、全く面白くない。
日本全国にある空港の数は、なんと98!2010年に開港される茨城空港を入れると99!47都道府県なので、各都道府県に2つずつある計算になる。そしてそのほとんどすべて、羽田空港と新千歳空港を除くすべてが赤字なのだそうだ。乗降客がTOP5に入るほど多い伊丹や福岡でさえも、周辺地域への補償で赤字になるらしい。赤字の補填は、全て税金で賄われていることを考えると、橋下大阪府知事のように、関空があるんだから伊丹は廃港にすればいいじゃねえか、とか思ってしまう。山陰地方でいうと、島根県出雲空港と石見空港、鳥取県に鳥取空港と米子空港はいらないでしょ。それぞれ自動車で1時間圏な訳だし。
そんな税金無駄遣いな地方空港事情よりももっと深刻なのが、国際線のキャパ不足問題らしい。成田は相変わらず拡張できず、夜間発着もできず、滑走路を拡張した羽田空港には、おおっぴらに国際線を発着させることもできない。世界各国の航空会社が、成田か羽田への就航を希望しているのに、それに応えられない状況が長年続いている。そんな訳だから、日本の航空行政は、オープンスカイ全盛の世界の潮流からは、大きく遅れをとっており、危機的な状況にあり、韓国の仁川空港や台湾の桃園空港、シンガポールのチャンギ空港にハブ空港としての機能を追い越されて久しい。アメリカ大陸に対して地理的なアドバンテージがあるにも関わらずのこの現状は、日本経済にとって本当に危機なのです。
かと言って、正直何をどうすれば良いのかよくわからず、米子空港INの石見空港OUTって、境港の水木しげる記念館→松江→出雲大社→石見銀山、ていうルートには最適の空港配置だなぁ、と考えてしまうんですけどね。

2009年5月24日

読書「定刻発車―日本の鉄道はなぜ世界で最も正確なのか?」

日本の在来線の90%は、定刻に発着する。イギリスやフランス、イタリアなどもほぼ同様の率ではあるものの、その基準が大きく違う。イギリスやフランスが、14分以上の遅延だったり15分以上の遅延をもって定刻でないと判断するのに対して、日本のそれは1分以上の遅延!発展途上国などに至っては、1日や2日遅れることなどもあるというのにだ。要するに、日本の鉄道の正確性は、他の国を大きく引き離したぶっちぎりのトップにある。それも戦前から、太平洋戦争の混乱期を除き、現在に至るまで、その正確性を維持し続けている。
毎日のように遅刻を繰り返す自分としては、この本を読むまで、どうして日本の鉄道がそんなに正確でなければならないのかがわからなかった。日本社会が、鉄道の15分の遅延を許容するなら、一社員の25分の遅刻も許容してくれそうなものではないか。でも日本の鉄道は、1分を越える遅延を許すことができない。日本の鉄道というネットワークシステムは、あまりにも巨大で融通が利かなすぎる。ひとつの鉄道の“小さな”遅れは、周辺の鉄道の“大きな”遅れになる。終電が遅れれば、保安作業の時間が少なくなり、一番大切な安全さえもが確保できないのだから、やはり“小さな”遅れさえも許容すべきではないのだろう。
その都合は良くわかる。でも鉄道を遅延させる最大の理由である、飛び込み自殺が首都圏のJRで一日に2~3回もある、て事実を知ると、やっぱり何だかなぁ、という気分になる。毎朝の電車の10分や20分の遅れ、帰省する新幹線の1時間の遅れ、たまの連休に2~3時間遅れた電車で寂れた温泉場まで…そんなことを許容し楽しめるような社会に、毎朝飛び込み自殺があるようには思えない。
ただ日本ていう社会は、日本の鉄道以上に融通が利かない。価値観があまりにも画一化されすぎてやしないだろうか?別に毎朝決まって30分遅刻するサラリーマンを許せ、という訳ではないけれど。

2009年5月12日

読書「紀州 木の国・根の国物語/中上健次著」

読み終わるのにえらく時間がかかってしまった。一章読むごとに、考え込んでしまうので、なかなか先に進めないのだ。あんまり普段そんな難しい本は読まないのだけに、久々の知的興奮ていう感じ。
紀伊半島を巡る旅のルポルタージュなのだけれど、その旅のスタート地点となるのは、中上健次の生まれ育った新宮市。となると当然のことながら、極めて私的な視点から見た紀州、小説家の見た紀州を描くノンフィクションであり、ちょっと不思議な作品となっている。
…残念ながら、僕はこれ以上この作品を評する言葉を持っていない。産まれてから続くこの怠惰な生活には、インプットもアウトプットも圧倒的に欠如していたのだから、仕方ない。自分を恨め、と。
となると実体験しかない。伊勢熊野には、2年ほど前にたっぷり時間をかけて行ってきた。当然、この本の舞台になっているところも巡っているので、より興奮させられるのだ。特に新宮は本当に不思議な町で、中上の言う通り大した観光名所などもないのだけれど(徐福公園浮島の森は、良い悪いは別にして行くべきだと思います)、鮮烈な印象を残しますし、神倉神社はホントにしゃれにならない凄さです。くどいけど。で、その神倉神社の社殿(怖ろしいほど急な石段を538段登りきったとこに社殿があります)で、地元の爺さんと話をした時のこと。
一見して観光客のわれわれに気さくに話しかけてくれた爺さん二人。聞いてもいないのに、一望できる新宮の町をいろいろと紹介してくれた。浮島の森は昔は本当に浮いて移動していたんだとか、昔の熊野川はプロペラ船がいっぱいいて凄くうるさかったとか。紀伊新宮藩主の水野家の墓所はあそこだ、と指差されたときに、連れ合いが何気なく一言「中上健次のお墓も同じところですか?」。爺さんA曰く「中上?誰だっけ?」。勝手なイメージで新宮の中上ってのは、松山における正岡子規みたいなもんで、地元民で知らない人はいない、なんて思っていた我々の不見識。爺さんB「中上っていったら、ほらアノ…」。その場に居合わせた4人全員が、やはりある構造を形成する一員なのだと、今さらながら気づいた。



2009年5月6日

大掃除

季節外れの大掃除を、GW最後の2日で敢行!目標の4割程度の到達具合で、時間切れ。連休明けの明日を迎えるプレッシャーに負けて、20時あたりから亀戸餃子を食べながら焼酎しこたま飲んでしまったので、もうこれ以上は無理です…。
到達4割とはいえ、もともとが言い現せない程度の散らかりっぷりだったので、結構検討したのではないかと思います。実際、片付けの大半は本の整理で、とりあえずのところ130冊をBOOKOFFに叩き売り、4千円になりました。それで気づいたこと。
2002年あたりから2005年くらいまでのコンピューター関連の書籍の多いこと!そのほとんどが、マスターどころか通読さえしていないようなものでした。DB、SQL、PHP、LINUX、FLASH、SSL、CGI…今に至ってなんの役にもたってません。そりゃたたないですよ。読んでないんですから。1,000円を超える本を買うときには、レジに行く前に3回自問自答をすることに決めました。今からホンの数年前ですが、当時は当時で自分の適性もわからず焦っていたのだな、と思います。学歴も知識もスキルも無い自分が、訳もわからずそれなりの業界に存在している居心地の悪さを誤魔化そうとしていたんでしょう。今はただ鈍化して、その居心地の悪さを感じなくなっただけ。あぁ、胸が痛い。
小さいころ漫画以外のまともな本であれば、たいてい父親が何も言わずに買ってくれました。そのせいなのでしょうか。現在にいたっても、金に糸目をつけず文庫、新書、ムック、単行本、等々、既読未読の在庫に関わらず、気になったものをバカバカと購入してしまいます。とりあえず既読かつもう二度と読まないもの、というフィルターにかけてBOOKOFFに売ってきたのですが、それでも残りが数百冊…。未読のものを比較的手前の本棚にまとめて眺めてみたところ、どれもこれも気になる本ばっかり!本屋でこんな棚を見つけたら興奮するだろう、というものになりました。そりゃ当たり前だろって!これから年末までは、新たに書籍の購入を差し控えようと思っています。それだけで我が家のキャッシュフローは好転するはずです。

2009年4月30日

読書「フーゾク進化論」

また新書ですが、これはそこそこ興味があって買った本。というのも、古典落語を集中的に聞いていると、どうしても気になるのが江戸風俗。特に廓噺に代表される吉原などの遊郭の描写を少しでも理解するには、当時の吉原に行ったことも無ければ今後行くこともできない私にとって、こういう本を読んで想像力を豊かにするよりほかないのです。ちなみに言うと、以下すべて実体験を伴わない伝聞推量的な考えです。なんか良い訳めいてますが。
この本の読みどころは、江戸時代の風俗解説ではなく、戦後から現代にいたるフーゾク産業とその取締機関との攻防の歴史。人間…いや日本人…いや日本人男性の飽くなき探究心と発明品の数々、そしてそれを支える想像力の逞しさたるやっ!その時代の価値観、倫理観、生活スタイル、そういったものに最も敏感に反応し、その形態を変え続けるフーゾクの変遷は、あるフィルターを通した日本という国の変遷でもあるのだろう。
ただ、あまりにも目まぐるしく変化し続けるフーゾクだけに、第二次世界大戦、GHQによる占領、風営法制定とその何度にもわたる改正を経て、吉原に代表される江戸時代からの風俗文化は消滅した、と思いきや、どうもそうではないように感じられるのです。もちろん遊郭はなくなったけれども、その精神はやっぱり現代に受け継がれているのではないか、と。で、どこに受け継がれてるかって、そりゃキャバクラですよ、キャバクラ。そういった行為があるかどうかはこの際問題ではなくて、その精神性がキャバクラにあるのではないか、と。男同士で酒なんぞを飲んでるうちに、一丁くりこむか、てな感じで始まるのは吉原もキャバクラも同じでしょ。店に行ったはいいけれど、なじみの女の子は他にも指名が重なってなかなか隣に来てくれないのは、落語の“五人廻し”もキャバクラも一緒。しばらくお店に行かなけりゃ、文が届くか携帯メールが届くし、時間になって延長どうしますか?と若い衆が聞いてくるのは落語の“お直し”もキャバクラも同じ。同じ店でなじみになれるのはひとりだけだし、勘定を見てびっくりするし。
こう考えると、長年かけて培った日本人好みの価値観っていうのは、時代を経ても変わりようがないのだな、と感じる次第です。ただボクのような、江戸に生きてみたかった現代人としては、こういったことを夢想して少し安心するのです。僕らの身体にも、江戸時代を生きた熊さんや八っつぁんの血が流れてるんだと。


2009年4月28日

読書「仕事ができる人はなぜ筋トレをするのか」

だいぶ前に読んだ本。やっぱり新書で、そんなに面白い本ではなかったんですが、ここはひとつ実験をしてみよう。

ズバリ、仕事のできない私が筋トレをしたら、どうなるのか!?
結論。仕事がよりできなくなります。

仕事のできない私は、日々の筋トレに忙しく残業してるヒマなんかありませんし、たいてい毎日筋肉痛で動き悪くなりますし、心地よい疲労感で朝がより弱くなります。プライベートが忙しく、頼んだ仕事を断ってくるヤツ。そんなヤツになるんです。
結局この本の言いたいことは…仕事ができる人はセルフマネージメントができるので、どんなに忙しくても自己鍛錬の時間を作ることができる。また目標を設定し、そこに至るまでの過程に無駄がない。周囲に対する気配りもでき、周りに迷惑をかけるようなこともない。なんてことなんでしょう。ただ百歩譲って、仕事ができる人はもれなく筋トレするとしても、筋トレする人がもれなく仕事ができる訳ではない、ってこと。今回の実験結果でした。

2009年4月19日

読書「ユダヤ人とダイヤモンド」

最近、新書がお気に入りで、各社から新刊が出るたびなにかしら買って読んでます。これもそんな一冊なんですが…今もって、なぜ自分がこの本を買ったのかわかりません。「ユダヤ人」にもましてや「ダイヤモンド」にも大した興味ないのに。似たようなことはよくあって、特に酔っ払って本屋なんかに行くと、翌日膨大な本の山を前にしてアタマを悩ませることになります。
ダイヤモンド産業の首根っこを押さえているのは一握りのユダヤ人である、なんてことを基礎知識として備えてはいたけれど、この本を読んでみるとそんな基礎知識さえも正しいものなのかどうか…。たぶん正しくないのでしょう。長年カルテルによって、ダイヤモンドの供給をコントロールしてきたDe Beers社には、現在ユダヤ人社員は一人しかいないのだそうだ。ただ歴史上、ユダヤ人がダイヤモンド産業を支配してきたことは間違いなく、ディアスポラやホロコーストにも、ダイヤモンドは大いに関連している。世界中で差別されていたユダヤ人が就くことのできた数少ない職業が、ダイヤモンドの研磨工だったのであり、小さく、軽く、そして高価なダイヤモンドは、長年流浪を続けざるを得なかったユダヤ人には、欠くことのできない重要な財産であったのだ。
こう考えてみると、やっぱり特に自分の人生にとって得るものはない読書でしたが、だいたい本を読んだぐらいで何かがどうにかなるとか考えるのが間違いなんでしょう。ま、そもそもダイヤモンドなんて持ってませんし、贈ったこともありませんしね。

2007年7月12日

『天使と悪魔』 ダン・ブラウン

ダン・ブラウンが『ダ・ヴィンチ・コード』の前に、ほぼ同じコンセプトで書いていた小説。この本もベストセラーだったのかどうかはよくわかりませんが、まあいろんな意味で概ね似たようなもんです。

・ヒロインが『ダ・ヴィンチ~』よりも魅力的。
・悪役が『ダ・ヴィンチ~』よりも魅力的。
・ストーリー展開や謎解きの過程が『ダ・ヴィンチ~』よりも魅力的。

などの理由で、『ダ・ヴィンチ~』よりも上かな、と。まあ『ダ・ヴィンチ~』と同じなんですけどね。映画化はできないんだろう…と思ったら、SPEで映画化が進んでいるようで、ニュースを信用するなら、ちょうど今頃ローマで撮影をしているそうです。

2007年5月10日

裁判大噴火

第二日本テレビ日刊スポーツ でおなじみの阿蘇山大噴火氏による裁判傍聴記。
家庭裁判所以外の審理は公開されている訳だから、当然誰でも傍聴が可能。著者も非常に怪しい風体(坊主・ヒゲ・男のスカート…)ながら、特に問題なく傍聴できるらしい。オウム事件の裁判だけは、ボディチェックが厳しいみたいですけど。そりゃ坊主にヒゲじゃなぁ。
事件当時、スキンヘッドにヒゲでガリガリに痩せて、といういかにもな風体をしていた経験がありますが、そりゃもう大変でした。飛行機のボディチェックなんて、靴脱いで、ベルト外して、って必ず2~3回は探知機を通らされるんです。あまりに面倒なので、髪を伸ばしましたよ。いちご白書の反対です。
え、いま?今も、坊主アタマにヒゲ面ですが、探知機に引っかかることはまずありませんね。体重が当時の1.5倍以上ありますんで、修行僧には見えません。マタギ風のベスト着て、ドミニカの旅券持ってたら捕まるんでしょうけど(正男似…)。
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